安全保障論

安全保障とは、ある集団が生存や独立などの価値ある何かを、何らかの脅威が及ばぬよう何かの手段を講じることで安全な状態を保障することである。

非軍事的側面

安全保障は冷戦後、非軍事的な側面に対する関心は高まりから経済、資源、環境などの分野にも研究領域を拡大した。

◯非軍事的側面に関する議論
ただし、安全保障の概念をどこまで拡大するかについては、「何にでも安全保障の概念が適応できるのか」という議論が残っている。例えば環境問題を安全保障の観点から研究する場合、その「安全を保障する対象」は、国家なのか、特定の地域なのか、地球全体なのか、もし地球全体を守る対象とする問題だとするならば、それは普通の「環境問題」であるのではないか、などの議論がある。
また、国政においては安全保障も政争の具であり、あらゆる事象、事柄を安全保障に結びつけることで危機感を煽り自らの権力拡大に役立てる政治手法が用いられる場合がある。しかし、全てを安全保障に絡めてしまうと、必要以上の危機感や不安感を多くの人々に与えてしまう場合がある。また、本来は対話などの平和的解決も安全保障に含まれているにもかかわらず、安全保障に偏った外交方針を敷くと外交が硬直化し、非妥協、非協力的な国家として孤立に結びつく可能性がある。同時に、集団的安全保障を敷く国においては同盟国への必要以上の譲歩に結びつき国益を損なう可能性もある。それは本来安全保障が目的とする「国家や人々の安全な状態を保つ」とは言えず、安全保障が「国家を危険な状態に追い込み、人々に不安な状態を呼び込む」と言った事態が生じてしまう。

◯経済の安全保障
経済安全保障の目的はその国家の経済、国民の経済生活を維持、改善することにある。経済とは国に住む人間の生活そのものである。故に経済力は極めて重要な国力であり、また国際経済における競争力を維持し、経済的な自立を達成することは国の存続に直接関わることであると言える。
経済における安全を定義することは軍事における安全とその性質が本質的に異なっているため難しい。市場経済は本質的に不安定性を内在するものであり、保護主義的な関税を設定するなどの手段で市場に過剰に介入することは国内産業の競争力を低下させる恐れがある。また市場を制御するために市場の独占が必要になるが、それは市場経済の原理そのものに反する行為である。国外からの直接投資や輸入などを断絶して自給自足を目指すことも近年の経済の相互依存関係が進んでいるため、不可能に近い。故に経済の安全保障政策を行う場合はこのような経済の特性や市場の原理を十分に把握して実行することが極めて重要である。

◯資源の安全保障
資源・エネルギーは経済活動を行い、資本の価値を増殖させていくのに欠かせない国力の前提的存在である。歴史的に見ても、資源地域を巡る領土紛争は非常に多い。戦略的に重要な資源・エネルギーとしては、鉄、アルミ、クロム、コバルト、プラチナ、石炭、石油、天然ガスなどが挙げられ、これらは近年の科学技術、工業の発展、大量消費社会の拡大から重要な価値を持つようになっている。
資源の安全保障に対する脅威には、禁輸措置、供給量の削減による価格吊り上げなどがある。代表例として1973年のOPECの原油価格引き上げが挙げられる。また自然災害や戦争などによる供給システムの停止という脅威も考えられる。第二次オイルショックイラン革命が主な要因となって引き起こされた。
資源の安全保障の手段として、自給自足の準備や国内における消費の抑制などの脅威の発生を予防する方法、さらに緊急事態に備えた備蓄、危機発生における対策準備などの脅威による被害の最小化を試みる方法がある。しかし、これらは大きな費用を伴う措置であるため、慎重に検討しなければいけない。

◯環境の安全保障
現代の大量生産・大量消費の経済活動と世界的な人口増加などが自然環境に大きな影響を及ぼしている。環境の安全保障はこうした自然環境への影響が人間の生存地に深刻な悪影響を及ぼすことがないように試みることにある。あらゆる環境問題が安全保障の対象になるわけではなく、基本的に国民の生存、国家の利益などに対する間接的・直接的に影響する可能性がある問題に限定される。 1990年代に環境安全保障が活発になり、特に米国では盛んに議論された。 しかし、米国での環境安全保障議論は、環境保護団体が軍隊の環境改善の為の工作部隊としての役割を期待し、 軍隊は、環境保護を理由に軍事予算の拡充や権限強化を狙った為、本来相反する存在のはずの軍隊と環境保護団体が共闘する傾向が強まった。 環境保護団体には、軍隊の非武装化を狙う非武装主義者も介入するようになり、 環境安全保障を理由に軍隊の弱小化を考える人々と、強化を考える人々の深刻な意見の亀裂が生じた。 また、しばしば環境安全保障が目的とする物やその実際の手段に混乱が見られた。 結果として、軍隊の権限強化や役割拡大には危険な面が多いとし、以後環境安全保障についての議論は低迷した。 現在は軍隊を用いない、市民活動や国家の役割、企業の環境に対する責務と言う観点からの環境安全保障の議論は現在も続いている。 しかし、具体的かつ明確化されたルールが確立されるまでには至っていない。

◯思想・文化の安全保障
思想・文化の安全保障とは、統治原理・文化・思想・宗教・国民性などの思想的・文化的な国家の基幹的な要素を守ることである。選挙などを通じて大衆の政治への関係が大きくなれば、その行動や世論が政治的影響力を持つようになる。また同時に交通や通信が高速化、密接化が増大すれば国外の思想や文化が流入するようになる。そうすれば、これらを活用して宣伝・広報などを通じて世論を外部から間接的に誘導することが可能となる。例えば、マスコミを通じてその国の正統性を主張することによって、国際社会に対して好意的な印象を形成するなどが考えられる。宣伝を行う場合、あからさまな偽情報を流せば宣伝者の信頼性を減退させる。故に宣伝活動で流される情報は露骨な宣伝ではなく、さり気なく、かつ継続的・戦略的な大衆宣伝となる。ただし、近年は宣伝に客観性が求められるようになっており、広報との差異は曖昧になりつつある。ジョセフ・ナイは冷戦後の国際関係における問題として「脅威の種類と程度の曖昧性」にあると指摘している。

 

参照元Wikipedia安全保障論