安全保障論

安全保障とは、ある集団が生存や独立などの価値ある何かを、何らかの脅威が及ばぬよう何かの手段を講じることで安全な状態を保障することである。

安全保障論の学派・視点

安全保障は観察者の視点によってもその内容が大きく変わる。ここでは主要な学派や安全保障観について述べる。

◯脅威
脅威とは安全保障において敵または潜在的な敵を指して使用する。脅威には政治的、思想的、経済的なものが各種存在するが、純粋に軍事的な脅威は「能力」と「意思」から判断されるのが一般的である。すなわち、ある国が自国に対して侵略する国家意思を有していたとしても、それを実行するための軍事力が存在しないのであれば、また自国の軍事力が圧倒している場合は、その国は脅威ではない。またある国が膨大な軍事力を保有していたとしても、非常に友好的な関係があり、侵略の国家意思がない場合はこれも脅威とはならない。
また非対称脅威という言葉がある。これは従来の国家対国家という対称的な脅威ではなく、国家対非国家という対称ではない脅威を言う。つまり対称脅威とは国家体と国家体の間に生じる脅威を言うが、非対称脅威とは、国家体と非国家体の間に生じる脅威について言う。

国益
国益とは国家にとっての価値または利益である。狭義には国家の生存と独立、広義には国家の経済的繁栄や国際社会での地位増進などが国益にあたる。現実主義理論の重要な概念の一つであり、あらゆる国家はこの国益を追求して行動していると考える。一方で理想主義やリベラリズムでは一国の利益である国益を重視しない。何故なら、より国際的で共通的な利益、例えば国際公共財や国際レジームを重要視し、また国益が政策決定者の主観性によってその内容が変化するからである。

◯ネオ・リアリズム
ネオ・リアリズムとは国際構造があらゆる国家の行動に影響すると仮定した理論体系であり、これにはウォルツ (K.N. Waltz) による国際政治を無政府状態と勢力分布で説明する Theory of International Politics (1979)、またギルピン (R.Gilpin) による戦争だけが国際構造を変えるとする War and Change in World Politics (1981) などがある。
ネオ・リアリストであるウォルト (S. M. Walt) はバンドワゴン理論を打ち出した。これは同盟体制は脅威に対抗するだけでなく、脅威国に同調される時にも形成されるという考えであり、つまりバンドワゴン(勝ち馬に乗る)行動を示すことを述べた。 例えば1930年代に中欧、バルカン諸国の中小国がドイツ(ヒトラー)に次々と与し、協力していった。また日英同盟日独伊三国同盟、現在の日米同盟などは勢力均衡理論に立った同盟ではなく、バンドワゴン理論に基づく同盟であると指摘している。

◯機能主義
リベラルな国際政治学者は、「国家」とは個人の自由や権利を守る為の「必要悪」として考えており、その「必要悪」同士で議論の場を設けて平和構築や国際秩序の形成を狙った。(詳細は 機能主義 (国際関係) の項目を参照)
機能主義の反省と、リベラルな勢力によって 新機能主義 が提唱された。 要するに国家(国家体)ではなく、民間(非国家体)による外交と、国家の暴走の歯止め、多国籍企業、それらが発展し非国家体が国家体の国家主権の制約さえ可能と言う考えが出てくる。(詳細は 新機能主義 の項目を参照)

地政学
地政学の観点ではハートランド、リムランドや、ランドパワーとシーパワーの対立などから非常に大局的かつ包括的に国際関係を観察する。シーパワーの理論として『海上権力史論 The Influence of Sea Power upon History, 1660 - 1783』(1890年)という、マハン(Alfred Thayer Mahan)が執筆したものがあり、シーパワー(海洋力、海洋権力)の重要性を説いた。またランドパワーの理論はハルフォード・マッキンダーが提唱した概念であり、ハートランドを支配する大陸国家が有するパワーであり、これはニコラス・スパイクマンによってシーパワーとリムランドにおいて対立すると論じた。

◯構造的暴力
構造的暴力とはある社会体制や秩序自体が貧困、飢餓、抑圧などをもたらす場合、これも間接的には暴力であるという考え方がある。これは平和学の分野でヨハン・ガルトゥング(J.Galtung)が提唱した。ガルトゥングは「構造的暴力が存在する状態を社会的不正義と呼ぶ」と定義している。

シカゴ学派
安全保障研究や国際政治学に非常に強く影響を与えた学派。シカゴ学派第一次世界大戦第二次世界大戦の両大戦の影響が見られる。1900年の チャールズ・メリアム(C.E.Merriam) 就任からシカゴ学派の大きな潮流が生まれる。具体的には以下の事をした。
政治学に隣接科学を導入し、分析を発展させた。フロイト精神分析の応用など。
分析に強く権力、権威を持たせた。徹底的な検証至上主義と言うべき価値観が政治や安全保障を科学的に分析可能にした。
アメリカ合衆国憲法と現実のアメリカ社会の乖離に不信感を抱き、経済的側面から憲法を解釈した。
政策科学を重視した。プロパガンダの分析等。

◯世界最終戦論
石原莞爾は、1940年に出版された『世界最終戦論』で、フリードリヒ大王の時代の「持久戦争」、フランス革命後のナポレオンの「決戦戦争」に大別し、戦争を持久と決戦の二つに分けている。だがこれらの考え方は科学的理論に基づく物ではなく、仏教的価値観が根底にある。また第一次世界大戦の次に来る世界戦争を人類の最終戦争と位置付け、東亜連盟(つまり大東亜共栄圏)が世界の勝者となり天皇が世界の盟主となると本の中で主張した。

◯ソフトパワー
ソフトパワーとは軍事力(ハードパワー)の対義語であり、強要するのではなく、間接的に相手に影響や共感を与えることによって相手のある行動や態度を引き出す能力の総称である。軍事力だけでは国家の安全保障政策としては不完全だと考えられており、このような能力を総合的に用いるべきだという考えは古来よりあるが、近年特に戦争違法化の流れなどから注目されている。
具体的には映画、古典、芸能、食文化、ドラマの海外への宣伝、進出や政治思想、宗教、イデオロギーなどの浸透、科学技術力や経済力などが挙げられる。近年、日本では世界的なアニメ、漫画の人気を背景に、これらをソフトパワーとして活用すべきとの意見が多い。

◯エアパワー
エアパワーとは航空に関するその国家の能力の総称である。イタリア人 ドゥーエ (Giulio Douhet) は 1921年に『制空論』を執筆し、航空戦力(エアパワー)の重要性を論じた。これは当時は陸海軍の抵抗もあってすぐにその重要性が認識されることはなかったが、後に核兵器の登場、ミサイル技術の発達、航空戦力の高度化などから各国軍でも重要視されるようになっていった。

 

参照元Wikipedia安全保障論

非軍事的側面

安全保障は冷戦後、非軍事的な側面に対する関心は高まりから経済、資源、環境などの分野にも研究領域を拡大した。

◯非軍事的側面に関する議論
ただし、安全保障の概念をどこまで拡大するかについては、「何にでも安全保障の概念が適応できるのか」という議論が残っている。例えば環境問題を安全保障の観点から研究する場合、その「安全を保障する対象」は、国家なのか、特定の地域なのか、地球全体なのか、もし地球全体を守る対象とする問題だとするならば、それは普通の「環境問題」であるのではないか、などの議論がある。
また、国政においては安全保障も政争の具であり、あらゆる事象、事柄を安全保障に結びつけることで危機感を煽り自らの権力拡大に役立てる政治手法が用いられる場合がある。しかし、全てを安全保障に絡めてしまうと、必要以上の危機感や不安感を多くの人々に与えてしまう場合がある。また、本来は対話などの平和的解決も安全保障に含まれているにもかかわらず、安全保障に偏った外交方針を敷くと外交が硬直化し、非妥協、非協力的な国家として孤立に結びつく可能性がある。同時に、集団的安全保障を敷く国においては同盟国への必要以上の譲歩に結びつき国益を損なう可能性もある。それは本来安全保障が目的とする「国家や人々の安全な状態を保つ」とは言えず、安全保障が「国家を危険な状態に追い込み、人々に不安な状態を呼び込む」と言った事態が生じてしまう。

◯経済の安全保障
経済安全保障の目的はその国家の経済、国民の経済生活を維持、改善することにある。経済とは国に住む人間の生活そのものである。故に経済力は極めて重要な国力であり、また国際経済における競争力を維持し、経済的な自立を達成することは国の存続に直接関わることであると言える。
経済における安全を定義することは軍事における安全とその性質が本質的に異なっているため難しい。市場経済は本質的に不安定性を内在するものであり、保護主義的な関税を設定するなどの手段で市場に過剰に介入することは国内産業の競争力を低下させる恐れがある。また市場を制御するために市場の独占が必要になるが、それは市場経済の原理そのものに反する行為である。国外からの直接投資や輸入などを断絶して自給自足を目指すことも近年の経済の相互依存関係が進んでいるため、不可能に近い。故に経済の安全保障政策を行う場合はこのような経済の特性や市場の原理を十分に把握して実行することが極めて重要である。

◯資源の安全保障
資源・エネルギーは経済活動を行い、資本の価値を増殖させていくのに欠かせない国力の前提的存在である。歴史的に見ても、資源地域を巡る領土紛争は非常に多い。戦略的に重要な資源・エネルギーとしては、鉄、アルミ、クロム、コバルト、プラチナ、石炭、石油、天然ガスなどが挙げられ、これらは近年の科学技術、工業の発展、大量消費社会の拡大から重要な価値を持つようになっている。
資源の安全保障に対する脅威には、禁輸措置、供給量の削減による価格吊り上げなどがある。代表例として1973年のOPECの原油価格引き上げが挙げられる。また自然災害や戦争などによる供給システムの停止という脅威も考えられる。第二次オイルショックイラン革命が主な要因となって引き起こされた。
資源の安全保障の手段として、自給自足の準備や国内における消費の抑制などの脅威の発生を予防する方法、さらに緊急事態に備えた備蓄、危機発生における対策準備などの脅威による被害の最小化を試みる方法がある。しかし、これらは大きな費用を伴う措置であるため、慎重に検討しなければいけない。

◯環境の安全保障
現代の大量生産・大量消費の経済活動と世界的な人口増加などが自然環境に大きな影響を及ぼしている。環境の安全保障はこうした自然環境への影響が人間の生存地に深刻な悪影響を及ぼすことがないように試みることにある。あらゆる環境問題が安全保障の対象になるわけではなく、基本的に国民の生存、国家の利益などに対する間接的・直接的に影響する可能性がある問題に限定される。 1990年代に環境安全保障が活発になり、特に米国では盛んに議論された。 しかし、米国での環境安全保障議論は、環境保護団体が軍隊の環境改善の為の工作部隊としての役割を期待し、 軍隊は、環境保護を理由に軍事予算の拡充や権限強化を狙った為、本来相反する存在のはずの軍隊と環境保護団体が共闘する傾向が強まった。 環境保護団体には、軍隊の非武装化を狙う非武装主義者も介入するようになり、 環境安全保障を理由に軍隊の弱小化を考える人々と、強化を考える人々の深刻な意見の亀裂が生じた。 また、しばしば環境安全保障が目的とする物やその実際の手段に混乱が見られた。 結果として、軍隊の権限強化や役割拡大には危険な面が多いとし、以後環境安全保障についての議論は低迷した。 現在は軍隊を用いない、市民活動や国家の役割、企業の環境に対する責務と言う観点からの環境安全保障の議論は現在も続いている。 しかし、具体的かつ明確化されたルールが確立されるまでには至っていない。

◯思想・文化の安全保障
思想・文化の安全保障とは、統治原理・文化・思想・宗教・国民性などの思想的・文化的な国家の基幹的な要素を守ることである。選挙などを通じて大衆の政治への関係が大きくなれば、その行動や世論が政治的影響力を持つようになる。また同時に交通や通信が高速化、密接化が増大すれば国外の思想や文化が流入するようになる。そうすれば、これらを活用して宣伝・広報などを通じて世論を外部から間接的に誘導することが可能となる。例えば、マスコミを通じてその国の正統性を主張することによって、国際社会に対して好意的な印象を形成するなどが考えられる。宣伝を行う場合、あからさまな偽情報を流せば宣伝者の信頼性を減退させる。故に宣伝活動で流される情報は露骨な宣伝ではなく、さり気なく、かつ継続的・戦略的な大衆宣伝となる。ただし、近年は宣伝に客観性が求められるようになっており、広報との差異は曖昧になりつつある。ジョセフ・ナイは冷戦後の国際関係における問題として「脅威の種類と程度の曖昧性」にあると指摘している。

 

参照元Wikipedia安全保障論

軍事的側面

現代においても、安全保障にとって軍事は非常に根幹的な存在である。なぜなら安全保障の本質的な課題である国家の生存、独立の保持、領土の防衛などは軍事力と今なお深い関係があるからである。

◯軍事力
軍事力(military capability)とは国家がその政治的目的、国益を達成するために用いる物理的な破壊力、支配力、強制力であり、広義の軍事力は軍隊だけでなく、さまざまな国力によって構成される。 安全保障における軍事力の役割は、強制、抵抗、抑止それぞれの機能を対外的に示し、攻撃に対し予期される損害や攻撃の戦略・戦術上の困難さを意識させることである。

核兵器
大量破壊兵器、特に核兵器は安全保障が特に注目するテーマのひとつである。ここでは核戦略に関する理論などについて述べる。

◯核抑止の種類
冷戦期における米ソ対立中にアメリカにて発展した核抑止には以下の種類がある。

・存在的抑止(実存的抑止)
核兵器の場合、数発で国家を消滅させるほどの威力を持つ、よって核が存在すると言うだけで国家指導者、為政者の考え方や政策方針に関係無く抑制機能(抑止力)が働くという考え。

・戦略的抑止
核兵器であっても、存在だけに頼るのでなく危機の場合にはちゃんと機能させて初めて抑止力が生まれるという考え。

・懲罰的抑止
ソ連が侵略行為を行えば、ソ連の都市や工業地帯に懲罰・攻撃的報復を加えて抑止力を持たせるという考え。

・拒否的抑止
ソ連の政治的、軍事的な目的の達成を拒否し、あるいは目的達成の為のコストが高過ぎることを認知させ抑止力を持たせるという考え。

◯抑止戦略モデル
敵性国家(または潜在的敵性国家)に対する抑止戦略。

演繹法的抑止戦略モデル
演繹法的に抑止戦略を立てることを言う、1970年代まではこの考え方が中心であった。

帰納法的抑止戦略モデル
帰納法的に抑止戦略を立てることを言う、1970年代からはこの考え方が中心となる。

演繹法的抑止戦略モデル批判
アレキサンダー・ジョージは 核抑止、地域紛争、危機の抑止の三つの抑止の内、核抑止以外は変動要素(目的、手段、選択肢、事態の悪循環の可能性)が多く、単純な損得勘定では戦争勃発を説明出来ないと批判した。これ以降、帰納法的抑止戦略モデルの考え方が主流となる。例えば旧日本軍の南下政策や真珠湾攻撃演繹法的抑止戦略モデルによる単純な利害論では説明出来ない。

相互確証破壊
安全保障は時に「いかに敵を攻めるか」「いかに敵に被害を与えるか」と言う事を考えて、逆説的に「いかに平和を保つか」を探る手段を用いる。有名な考え方は核兵器の「相互確証破壊」(mutually assured destruction、MAD)である。
1965年にソ連が抑止力としての核兵器から、攻撃としての核兵器に性質を変化させ、アメリカを攻撃した場合に、アメリカは報復核攻撃を行いソ連の人口の 25%、工業力の50%を破壊すると言う考え方である。しかし、この考え方が出てくるとソ連では対米確証破壊力の強化が打ち出され、ソ連の GNP15% を軍備に投資すると言う大軍拡を行った。 この間、米ソ間で核戦争が起きなかった事から「相互確証破壊論」は有効であったとの考え方が一時期主流になったが、相互確証破壊論による核抑止は結果として過剰な軍拡を引き起こしたため、その抑止のための軍備管理として SALTが行われ、特に米ソ間で軍縮が進んだ。 これを教訓に核による報復攻撃が果たして本当に価値があるのか、と言う対価値攻撃戦略(counter value strategy)の考え方が浮上した。1971年には核戦略は選択的に活用すべき、との考え方が広がり「相互確証破壊論」の「全面報復」の考え方は後退した。1974年に、柔軟目標設定が発表され、兵器の命中精度が高い(高くする)と言う前提で、敵対国からの攻撃に報復の段階を持たせた。

 

参照元Wikipedia安全保障論