安全保障論

安全保障とは、ある集団が生存や独立などの価値ある何かを、何らかの脅威が及ばぬよう何かの手段を講じることで安全な状態を保障することである。

安全保障の抱える問題

◯セキュリティ・パラドックス
セキュリティ・パラドックス(security paradox)、あるいは安全保障のジレンマ(security dilemma)とは安全保障政策立案上のジレンマを言う。
A国とB国が対立し、A国がB国に対する明確な安全保障を定め強化すると、B国もA国に対して安全保障を強化する。これらが悪循環し、平和の為の安全保障が逆説的にかえって軍拡や軍事的緊張を呼ぶ事になる。

◯脅威の創出
安全保障政策はしばしば国民世論だけでなく、近隣諸国、世界の世論も動かす為、特定の方向に意図を持った政治勢力によって安全保障が政争の道具に使われる事がしばしばある。
文明の衝突」の著者であるサミュエル・P・ハンティントンは、かつてソ連崩壊後に新たな脅威を探し、日米間の貿易摩擦を取り上げ、日本を経済的な敵と仮定し、経済戦争が生じ経済安全保障が必要だと提起した。これによって日米間の関係が崩壊する程度までは行かなかったが、極めて深刻な意見の対立が生じた。なお、経済安全保障ではスピンオフが今後期待出来ないとし、特に石原慎太郎著作の「NOと言える日本」はアメリカの安全保障研究者の多くを刺激した。石原慎太郎の指摘するアメリカ軍が日本の高度な軍事技術に依存している点に、安全保障上の問題があるとして高度な技術は全て国産にすべきとの考え方がアメリカに広まった。しかしそれを実現するには自由貿易を否定し、保護主義を強化しなければならない為、結果として経済的衰退を招くことが判明し、現在、経済安全保障の議論は低迷している。その後、ハンティントンは新たな脅威を探し、中国脅威論を提起し、その次は宗教対立、文明の衝突と言う脅威を提起した。ハンティントンの論が間違っていると言う事ではなく、安全保障研究を行っている人々は脅威を「探し出し」「煽る」傾向にあると言う事を差し引いて物事を見なければならない。

◯自由の抑圧
基本的人権言論の自由の抑圧、弾圧などにも治安や安全保障上の名分が使われる事がある。
大日本帝国1928年治安維持法の改正を行った。これにより日本共産党及び党員と、その支持者、また労働組合、農民(農業従事者)組合、プロレタリア文化運動など左翼参加者の摘発を行った。これは結果として、特高警察、独立性の小さい司法などを生み、基本的人権言論の自由の抑圧を加速させた。また治安維持法によって、未送検者含む逮捕者の数は数十万人を超えていたと言われている。政府発表では送検者7万5681人、起訴5162人、未送検者含む逮捕者の数は不明となっている。

◯脅威の誇張
存在しない危機やまだ危機と言える程の物ではない程度の物を、恣意的に「危機」「脅威」と過大に評価し世論誘導や国家の予算獲得しようとする試みが軍産複合体によって行われる場合がある。
911テロ後、2003年にアメリカ合衆国国土安全保障省を創設したが、国土安全保障省が自由に使える予算は配分される予算の内の4%に過ぎず、その4%は人件費や設備費で使い切ってしまう。残りの96%の予算は使途が決まっており、その使途は極めて政治的な意図によって左右されている。これは安全保障の名を借りて、国土安全保障省の予算を特定の政治勢力が自分の政治勢力の権益の為に予算を使う危険性が残る。また国土安全保障省国防総省の目的、業務内容が被っていると指摘されている。さらに国土安全保障省の国土安全保障会議と、国防総省国家安全保障会議の二つの会議間に連絡網が無い事も指摘されている。

 

参照元Wikipedia安全保障論